SPORTS BIZ PROFILE 2021
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略歴■ 1988年-1995年 日立ベルフィーユ 日本リーグ優勝5回('88年度 '90~'93年度)■ 1995年1月 アンコーナ(イタリアセリエA)■ 1995年2月 ローマ(イタリアセリエA)■ 1995年-1999年 ダイエーオレンジアタッカーズ Vリーグ優勝('97年度)■ 1999年-2002年 東洋紡オーキス Vリーグ優勝('00年度)■ 2002年-2006年 パイオニアレッドウィングス Vリーグ優勝2回('03年度 '05年度)■ 2006年 現役引退★ 全日本女子代表(’87年、’89年~’96年、’98年、‘03年~’04年)  オリンピック(バルセロナ5位、アトランタ、アテネ5位)  世界選手権('90年 '94年)  ワールドカップ('91年 '95年 '03年)■ 2015年-現在 JTマーヴェラス(監督) チャレンジリーグ優勝('15年) プレミアリーグ 昇格 黒鷲旗優勝('16年、'18年) Vプレミアリーグ2位('17年) VリーグDIV13位('18年) VリーグDIV1優勝('19年、'20年) 天皇杯・皇后杯優勝(‘20年)PROFILE日本人初のプロバレーボール選手として海外リーグでのプレー経験を持ち、国内で所属した全てのチームで優勝した華やかな実績から「優勝請負人」と呼ばれた。アテネ五輪世界最終予選では、「最後の切り札」として7年振りに全日本女子代表に招集され、主将に抜擢される。「闘将」の異名で知られ、精神的支柱としてチームを牽引、途切れた五輪出場の歴史を復活させた。引退後、指導者を目指して筑波大学大学院で体育学修士課程を修了。試合解説やクリニックの活動と並行して、大東文化大学講師も務めた。また、Vリーグ初の女性理事に就任。引退から9年後の'15年にJTマーヴェラスの監督としてバレー界に本格復帰した。'16年、就任1年目でVプレミアリーグ昇格、黒鷲旗は’16年、’18年と優勝という成績を収めた。そして’19年、就任5年目にリーグ優勝を成し遂げた。常にチームをリーグ上位に導き、指導者としての評価も高い。受賞■ 日本リーグ ベスト6賞(2回)■ Vリーグ  栄誉賞('07年)      最高殊勲選手賞      敢闘賞      スパイク賞(2回)      ベスト6賞(4回)その他■ 日本オリンピック委員会 女性スポーツ専門部会 会員■ 日本オリンピック委員会 強化スタッフ■ 日本バレーボール協会 倫理委員会 委員■ 日本バレーボール機構 理事■ 日本サッカー協会「こころのプロジェクト」 夢先生講 演トークショーイベントクリニックメディア出演司 会解 説コラムバレーボール指導者吉原 知子 Tomoko Yoshihara生年月日 : 1970年2月4日出身地  : 北海道雨竜郡妹背牛町出身校  : 妹背牛商業高等学校→筑波大学大学院所属   : JTマーヴェラスオリンピアン指導者58

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