NEC監督としてVリーグ3回、全日本選手権4回優勝に導き名将としてその名を馳せる。 96年アトランタ五輪後、全日本の復活を期す切り札として抜群の統率力と斬新さが高く評価され、全日本男子監督に就任。シドニー五輪予選最終戦をもって監督を退任し、さらなる指導力向上のため、海外へのプロコーチとしての移籍を希望し、00年12月韓国プロリーグの強豪チーム 三星火災(サムソン)へプロコーチとして就任。 01年10月から3ヶ月かけ、イタリアセリエA、フランスプロA、両リーグにおいて単身コーチ留学を経験。02年5月からはチャイニーズ・タイペイ男子ナショナルチームの監督に就任。 05年6月からVリーグ女子「JTマーヴェラス」の監督に就任し、5年ぶりに国内で指揮をとり、07年1月に開幕した第13回Vリーグでは、前年6位から準優勝と飛躍を果たした。